上山院長ブログ

2022年10月

2022.10.24

バイクの教訓「亀の甲より年の劫」後半

バイクの教訓「亀の甲より年の劫」前半はこちらから

私のバイク事情はさておき「老化の実感」の他方、悟ることが出来た一面が重要です。

それは、運転自体は実は20代の頃より今の方が上手くなっているという事実です。バイクライフを開始できる段階は、今だったと納得しました。

20歳過ぎれば老化スタート、全臓器が衰えるばかりですし、運動能力もピークより低下していく中、何故でしょうか。

一言でいうなら「経験値」です

情報処理能力のスピードは落ちているものの、脳に蓄積されている情報量は、20代の頃に比べれば、何百倍・何千倍といえますし、処理方法のバリエーションも比較になりません。
その結果、情報処理の仕方が上手くなった、ということではないかと自己分析しています。

そこでふと少林寺拳法に打ち込んでいた頃を思い出しました。

当時の監督が、力強い若者も遠く及ばない凄みのあるオーラを纏っておられ、実際理解を超える技を繰り出し今なお憧れる存在です。

その時点ではその根拠が良くわからなかったのですが、修練を続け、その年数をかけることでようやくたどり着く“境地”というものがやはりあると腑に落ちました

最近では「流動性知能結晶性知能」とも言われていますが、刃物を仕事で扱う者としては刃物の例が響くので挙げさせてもらうと、日々磨き続けるかどうかがで長く使い物になるかどうかを左右しますよね。

ヒトも日々の修練を積むことで研ぎ澄まされていくのか、それともただひたすらに錆びて朽ちていくだけなのかという事なのでしょう。

私のバイクライフは一例にすぎませんが、要は挑戦し続けることがキーです。大型二輪の講習段階であんなにバイクを倒す人も珍しいでしょう、バイクにはごめんなさい、ですが「倒れたら起こせばいいじゃん」、挑戦に挫折はつきものもの、いかに立ち上がり続けるかの積み重ねが“年の劫の力”、老化・終着点と常に向き合いながら自己研磨していきたいですね。

2022.10.21

バイクの教訓「亀の甲より年の劫」前半

大型二輪免許は、中型二輪免許取得後から長年のブランク開けでの取得でした。
ギアチェンジが中型の試験以来であり、久々のバイクの運転は驚くほど大変で、反射神経情報処理能力など生物として全般的な衰えを痛感することになりました。

バイクは全身を常に使います。体幹でバランスを保持しながら微調整し、四肢それぞれで異なる操作をする必要があります。中型から大型へは技能12時間だけで良く、通常であれば短いほど良いのでしょうが、ブランクがある身ではプレッシャーでした。

試験で予定されている走行コースは2コースで、当日のくじでどちらかに決まります。
ですので、普段からこの2コースを記憶し、どちらでも走行できるよう練習します。

最初口頭だけで指示されますが、全く覚えられませんし、またS字、一本橋、クランク、急制動・・・こんなに大変だっただろうかと挫けそうでした。何度も何度もバイクを倒しながら、教官の前向きなご指導に励まされ、以前ではする必要もなかった日々の努力、コースを繰り返し見直して頭に叩き込み、you tubeでイメージトレーニングを続け、そして中型のバイクをレンタルして自己訓練を積み重ねた結果、無事期間内での最終試験にこぎつけました。

当然一発合格を目指し挑みましたが、あろうことかS字を2速で行くところを3速で進んでしまい、激突・転倒・・・即失格。“心が砕ける”というのが正にふさわしい瞬間でした。

結果を待つまでもないため、帰って良いと言われるのですが、大きな打撃でした。

日常のバイクは視覚で何速なのか確認できるのですが、教習所のバイクは表示がないので、難易度高いですよね。
この一連の経験は生物としての衰えと、鍛錬が疎かになっていた事実確認となりました。
その後は追加指導を1度受け、再試験で無事合格を勝ち取り、250CCからバイクライフを謳歌しています。

 

幼少時からの私の望みは1100~1300CC、そうなるとバイクの重量が現在のものの+60㎏以上となるので、もう数年修練を積んでからという計画です。

しかしいよいよあともう一歩という所にまできました。

私のバイク事情はさておき「老化の実感」の他方、悟ることが出来た一面が重要です。

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